ヒトプロデューサー 国武憲慈
ヒトプロデューサーの使命
生まれながらにして、仕事も職業も決まっていた。農民の子は農民となり、耕作が出来なければ落伍するだけだった。職人の子は職人になるしかなかった。
ところが今日では、選択の自由がある。したがって、自らが属するところがどこであるかを知るために、自らの強みを知ることが必要になっている。』
P・F・ドラッカー 【明日を支配するもの P194】より
ビジネスの世界では競争を強いられます。その中で、幸福感を感じ仕事ができるか。あなたにとって非常に大切な問題だと思います。しかし、自分で自分の強みを理解することは簡単なようでとても難しい。
ヒトプロデューサーはあなたの「個性」を明確にし、あなたの強みを引き出していきます。そして人と人との新しい機会を創造。そこに新しいエネルギーづくりのアシストを行うこと。それがヒトプロデューサーの使命だと考えています。
ヒトプロデューサー 国武憲慈プロフィール
在学中はバイトに明け暮れ、6年間通いようやく卒業。その後、東京の人材育成を中心とした経営コンサルタント会社へ入社。
能力主義という社風に共感する。人材育成のコンサル会社ということで、学ぶことが多く、ビジネスマンとして多くの基礎を学ぶ。ヒトに対する意識はここから始まった。
28歳の時、将来は経営者になりたいという気持ちが強くなる。経営者への修行という目的で会社を辞める。
その後、帰福。
経営者になるには、営業力が一番との思い、今までと違った営業の世界の経験を積むことを考える。化粧品の販売代理店向けの営業職に転職。
入社当初より3年はこの会社に在籍すると決意。余談ですが、ちょうど3年経ったころあたりに南九州地区の営業担当になり、今の嫁さんと知り合いました。 この会社に入った理由は仕事ではなく、これだったのでしょうか?(笑)
社会人9年。会社員には向かないという気持ちと経営者になりたいという気持ちで悩む。そういう思いからダスキンの代理店事業をスタート。もともと掃除がすきな自分だったので楽しみな仕事だった。100%成果報酬、代理店に所属する個人事業主として参画した。
そこで一緒に仕事をしていた先輩が「企業と人材のマッチングビジネスが面白い」という話を聞いた時、「これだ!」と心が晴れた感覚になる。当時33歳。転職年齢ぎりぎりでしたが今後の人生は人材ビジネス業界でやっていくという思いで転職。
最終的に「独立」という目標があったので人材派遣の会社に3、4年間修行をすると決意。実家である久留米の人材派遣会社に入社。
4年弱人材業界に身を置く。仕事を通してやはりこの業界が好きだと実感し、まわりの反対もありましたが、2006年1月起業。現在にいたる。







